隈部氏館跡

肥後国衆一揆の中心人物でもあった隈部氏の城館跡

隈部氏は、大和源氏の宇野親治(うのちかはる)を祖にするといわれ、赤星氏・城氏とともに、肥後国守護菊池氏の三家老でした。

天正15年(1587年)に、豊臣秀吉より肥後国を拝領した佐々成正による検地への反発がきっかけとなった「肥後国衆一揆」(ひごくにしゅういっき)を起こした隈部親永が、隈府城に移るまでの本拠となっていました。

隈部氏館跡

隈部氏館跡

標高約345メートルの山腹に位置し、礎石建物跡と庭園遺構が残っています。国指定史跡。

所在地
〒861-0404 山鹿市菊鹿町上永野
TEL
0968-43-1651(山鹿市社会教育課)
枡形

石垣で囲まれた鈎(かぎ)状の窪地を枡形といいます。熊本城などの近世城郭にみられる大規模な枡形の祖型といわれています。

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眺めがよく、天気が良いと、遠くは雲仙までも見ることができます。

隈部親永像

山鹿市特産工芸村「あんずの丘」の敷地内に、巨大な隈部親永像が建っています。